婚活で母と父が出会う
私の母は、婚活で父親と出会ったらしいですが、昔でいうお見合いみたいなものなのですが、未だに結婚出来ていない私も婚活サイトを利用しようか悩んでいます。
そんな母の話なのですが、信州南に位置する伊那谷。
天竜川の向こうにはアルプスの山並みが聳え、その裾野の遥か手前を流れる川は、かつては危険を伴うほどに水が満ちていた。
その水面の光る様は子供心にも美しいと思えた何かに守られているような平穏があった。
母の故郷である。
湘南地区から伊那に疎開をし、幼少期を過ごした場所であり、その土地で婚活して出合ったわけです。
兄の中学受験に備え東京にもどったのが昭和24年のことだがそれまでの数年間、私達家族は、かくも美しい、この村で、村長の親戚として、大切に扱われた。
戦争真っ只中の時勢は大変厳しく終戦をむかえてもその混乱は更に酷かったようだ。
母の実家を継ぐ実兄に庇護される日々ではあったが村内の名家でもあった。
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政略結婚
母の郷は代々村長を務め、伯父も例外ではなく大変若くしてこの任に就いた。
そして迎えた終戦、国の施策として移民を送り出し、悲惨な結果となり、村民に与えた苦しみを悔いるも、村長として取った指揮を責められ、生きていることさえも、非難を受け、自ら、命を絶った。
妻や幼子を遺し、悲劇的な決断であったその伯父の自決直後の姿は今も脳裡に在る。
記憶があるわけがない、と実姉はいうけれど私には確か映像となっている。
その後の伯母は大変な苦労をしたと思う。
実家の兄に守られて暮らしていた母も又しかりである。
旧家の二女として誕生し、女学校に通い、父親『わたしには祖父』には自宅内にテニスコートや卓球の施設を与えられ、ウァイオリンを弾き、オルガンのついたミシンを与えられ、今風に言うならば超お嬢様であろう。
実家にもどり周りのものに慰められ大切にされながらも早世した実母のあとに後添えとなった義母への気兼ねもあり、一人上京、杉野ドレメの制帽科に入学、卒業後には麹町のベルモードにて職につくも当時の副知事と婚活で再婚し、夫『私達兄妹の父親』の家は没落していて経済のための政略結婚だったから長野からの援助で暮らしていた。
それでも伯父が健在だったから・・伯父が自決した前夜に妹である母や姪や甥の住まいを訪れていた事実を知ったのは、60年の時を経て、公開された伯父の日記をテレビで視てのことだ。
新聞にも取り上げられ伯父の悲劇的な人生を、深い悲しみとして心に留めた。