婚活出身の母
婚活に馴染みのある私の家ですが、疎開からもどり東京での生活は祖父母・未婚の叔母二人・祖父の妹の家族・もうひとりの叔母の家族・そして私達家族6人大所帯である。
戦後にはこんなことはあちこちであったことだけれど、食糧に換わる母の持ち物は日に日に減っていった。
長野から送られてくる、野菜や米に助けられたことも数えられないくらい幾度か報われることのない母の苦労は子供心にも悲しかった。
昭和28年春、父親は他界。
長男を失った祖父母に、私達一家にはもう縁はないと追い出されたため、通学に便のよい近くのアパートに移り、家族五人の生活が始まった貧乏だったけれど重く、暗い空気から解放され、幸せだった。
亡き父の僅かな年金さえ祖母に取り上げられ、母の内職が唯一の生活費であった。
でもその母が結核にかかり、なによりも嫌っていた生活保護を受けることになった。
大所で育った婚活出身の母には許しがたい恥辱であったのだろう。
どれほど傷ついたことだろう。
当時通学していた小学校の担任は給食費の集金袋に領収印を押し、届けてくれた。
なんという配慮であろうか。
私達を育ててくれた母
人様の暖かさに守られて、その一つ一つが私達を育ててくれた。
今本当に思う。
担任の先生は『婚活出身のお母さんは、半端な人間じゃないぞ!』なんていわれても、当時は厳しい人と思われているのだなと受けとめていた。
だってそうだったから。
「お母さん!幸せでしたか」、「私達を生んで孫達に会えて私達を又愛してくれますか」、「私達と又会ってくれますか」。
もうお母さんを悲しませないようにします。
でもお母さん私達の子供はたくましく孫は可愛いですよ。
きっと会えますよね。
あなたの胸で眠り、少しだけ泣かせてください。
結婚したからこそこんなふうに語れるのですよね。
「お母さんもおとうさんが夫でよかったでしょ?」だって、私達がいて孫が9人いてひ孫が13人いて、婚活サイトであの人と結婚し、これだけの子供に会えて孫たちにも会えたのだから。
最近はそういうふうに思えるようになりました。
婚活や結婚とはそういうものなのかもしれないと思う時が時々あります。
幸せな時ばかりでなく、中には大変苦しんだり、悲しんだりする人がいるかもしれません。
でもその中にも些細な幸せはあるかもしれません。
それはその時に気付けなかった事かもしれないけれど、後になってふと幸せを感じる事ができたらそれはまら別の幸せなのではないかと思います。